おべんきょ

雨の日。

YouTubeのjwcad初心者向け動画を巡る。

基礎設定からのものを4つほど観ながらマウスをカチカチさせて、jwcadソフト画面とYouTubeを行ったり来たりする。

マウス設定、用紙枠の設定、グリッド線、用紙サイズ、縮尺、そして線の引き方…

地味な作業がなんとも楽しい。

今日は図面枠を描く所まで出来るようになった。

ひと段落したので夕飯作りに取り掛かる。

洗濯機も回しておこう。

お昼はお弁当を購入し昨日のおかずの余りを食べたので、夕飯は作りたいと考えていた。

台所に立ち、食材の把握をし、土井先生風に一汁一菜にすることを決める。

 

カットされた冷凍椎茸、いちょう切りの大根は電子レンジで少し火を通す。

それらを鍋に入れ炒める。(!)冷凍餃子の残りがあったこと思い出す。スープ餃子にしよう。

色合いが欲しくなり小松菜を早々と切り、鍋に入れて少し炒めて水を茶碗2杯分入れる。

沸騰するまでスープ餃子のレシピ検索をする。

調味料は計量スプーンで計る派である。

スープが沸騰して暫く経ったので、あとは余熱で火を通す。

これで今日の夕食作りは終わりである。

電話が鳴り、

B型事業所の見学が決まったので予定をスケジュールアプリに書き込む。

B型事業所へ行くことを決めたにも理由がある。

1ヶ月ほど前から週3日3時間を想定して日々を過ごしてみていた。しかし思っていた以上に体が疲弊してしまい、終いには風邪を引いた。

すぐに働くことはとても周囲に迷惑をかけてしまうだろうということと、自分にとってもハードルが高いと感じた。

そして何とか金銭をやり繰りしてB型事業所から就職を目指すことにしたのである。

働きたい気持ちが8年前からずっとあるが、焦らずに行きたい。

健康第一である。🌱

 

重い1日から凸凹グラデーション

(144日前)

一日一日が何かに繋がっているのは確かなのだけど、その一日が苦痛に感じることがある。

私は何をしているんだろうか。

療養というのは具体的にどうしたらいいのか定かではない。

(2023/04/24)

私にとって、やり方がわからないことは困る事である。

主に曖昧な指示、言語理解が苦手だ。

処方箋で頭がボーッとしているのか、病気でボーッとしているのかどちらなのだろう。

何を意図して書いているか、これを読んでいるあなたの事を考えることが難しい。

できない事を挙げれば、普通から遠のくのだろうか。普通を知るために普通であることは必ずしも必要ではないのかもしれない。

(いま少し読者を考えられた。)

(大きな話)人生の目的や意味は曖昧かもしれないけれど、

(小さな話)目的を持って話すと進みやすいことはある。

他者理解を目的とした場合、時間が永遠のように思えてしまう。

他者を"分かったつもり"でいることが申し訳ない。

時間をかけよう。

 

精神疾患の療養は自己理解(周囲にとっては他者理解)に似ている気がする。

自分と病気の付き合い方を模索中である。

ハッピーセット

嬉しい出来事が続いた日があった。

朝、以前撮影していただいた写真が届く。出掛ける予定があったので出発を急ぐ。しかしこの時点で私は嬉しくなっていた。

高専時代から続く友人と遊ぶ。久しぶりにパンケーキを食べる。パンケーキの見た目から私はテンションが上がっていた。
友人と対面で話すのは慣れている筈なのに割とテンパっていた気がする。楽しくもあり頑張らねばとも思える、そんな時間だった。
買い物をしたいと思っていたら友人は気を使って一人にしてくれたことも嬉しかった。ただもう少し友人と話したい気もあったがそれはまた今度に。

千葉駅は千葉県の中心のような場所らしく、私は好きなお店を沢山見かけた。

買い物をしたいと思っていたというのにも理由があった。converseの新作を探していたのだ。
黒いバレエシューズのような見た目だが厚底。そこがかわいい。

しかし千葉駅のABC Martにも取り扱いがない。converseの本店に行くしかなくなった。

病気の症状もあり、都心に行くことはできるだけ避けていた。
私がここまで悩むのはネットで衣服を買わないからだろう。
試着をして納得がいかないと衣服は買えないという性分で、古い人間かなあと思ってしまう。
送料無料だとしても購入後の返品やら何やらが私は億劫である。
今月はableton liveを購入予定で出費が嵩む。優先順位を考え靴は一旦保留。
帰宅後、写真を開封する。色合いも質感も満足できるものだった。気になった点を報告するなどし、お礼を伝える。
今のところ記した嬉しい出来事は数えられる程だと思うのだが、私にとってはそれ以上に遠出できたことや家族以外の人と話せたこと、尊敬する人と連絡を取れたことが大きい。
このように小さくとも嬉しいや好きを集めていきたいと思える一日だった。


偏見の詩

あなたの知っている過去に私はいません。

だから、私は私だしあなたはあなた。

もしかしたら あなたが支えられそうな私を見つけることがあるかもしれません。

あなたにできることは多々ありますが、その内の一つでも構いません。

私を「許容して下さい」

明けの明星

私はメンヘラだということを自覚している。
病んでいる状態から抜け出すというのはどんな体験なのだろう。
過去にスピリチュアルな友人の影響があり、愛ばかり言っていた時期もあった。それは状態が良いというよりまた違ったベクトルで変わった姿だった筈だ。
私はずっと、傾きの大きい人たちとの繋がりが強かった。
精神疾患を持っていると支援施設は大体オールオッケースタイルだ(もちろんその時に必要な対応である。)しかし少し元気になってきて仕事をしたいとなると、このグレーゾーンへの援助の手はなかなか届いていないのが現状に感じている。

就労移行支援もB型事業所もフルタイムも難しい私は居場所がなく足掻いている。

希望があるとすれば、音楽や編み物、絵が好きで創作が出来ていることだ。
完成後の達成感が私を支えてくれている。寝たきりだった頃に比べればこれも大きな一歩である。
とりあえずできることから始めていこう

emotioncolor

 

音楽のこと

たまに私の生活など大したものではないんだろうなと後ろ向きな考えになる。

しかし個人は尊重されるべきでは、とネガティブな思考を振り払う。そうしてようやくブログが書ける姿勢となる。

私は毎日音楽を聴いている。

それは何かをしながら音楽を聴くのではなく、音楽だけを聴く時間を取るということである。

ヘッドホンをつけてベッドに横になる。目を瞑ると音楽を集中して聴けるのだ。

よく動画(MV)のある音楽があるが、映像の質感と音楽の質感がぶつかるように感じることがある。

例えば「えのき」の映像が映ったとする。映像からはのびーやつるっとしたなどの質感を感じる。字幕から「えのき」という情報が入る。この2つを別々に感じている。(説明が下手だと自分でも思う。)

多分私は共感覚なのだ。

先日のworld's end girlfriendのLiveが暗闇で観客に曲を聴かせたと聞き、羨ましく思った。

AutechreもLiveは暗闇だった。

音楽には既に色や映像が感じられる。私はLiveに行く時は目を閉じて音楽を聴く瞬間と映像を楽しむ瞬間とを分けて楽しんでいる。

そんなこんなで今日もいつものスタイルで音楽を聴き、音の分析もしつつ楽しんだのだった。

次に続く一歩の傾き

ぐったりが続くような一日だった。」

生活する中で、何に、どこに焦点を当てるかでネガティブかポジティブかになれる事がある。

良いと感じる日や不調の日は捉え方次第と言ったら語弊があるので、"次に続く一歩の傾き"と書いておく。

好調に記す日は坂を下るように軽やかだけど躓かないか注意したいと不安を抱く。

不調を記す日は階段を数段降りた場所で上を見上げているよう。階段の段数が見えているみたいに上も下も意識しているのかもしれない。

不調の時の私は本当の私ではないと思うようにしている。

冷静になるとみえる世界が違うことを、渦中にいるうちはなかなか気付けないものだ。

ではどのようにして冷静になるのか。

出来れば自分に合うやり方を模索して欲しいが、例として書き記しておこうと思う。

私は落ち着かない時や安心したい時は、まず先に処方された頓服薬を飲んでいる。

そして薬が効くまでの不調時(精神的に不安定で泣き崩れるなど)は音楽を聴きながら絵筆(ボールペンなど)や手に絵の具をつけて描く。思いをぶつけるように。

もう少し冷静だとPCやableton note(スマホアプリ)を開いて曲に感情をぶつける。

またアロマを身につけたり、温かい物を飲食する。体をあたためる。

繰り返しうるさく言うがあくまで一例なので、自分の落ち着かせ方を探すことを勧める。自分の落ち着かせ方を知っていると周囲も安心するし、何より自分が助かる。

何度も不調になってしまう時、周りに申し訳なくなる。もう頼れないだろうと思うこともある。そんな時に自分で何とかしようとした結果生まれたのが先に記したやり方である。
読者にはこの方法を使う日が来ないことを願って。