難解さへの姿勢

難解であることとやる気がないは、また違った話だ

ひとつの行動には様々な要素が折り重なっており一様に決めつけてはならないとは思うが、
・難解なことは誰にとってどう難解であるのか
・やる気の出る事の基準など
それぞれにあるはずだ。

私は自分にとって難解だからやる気が出ることもある。

やる気のなさは、しばらく難解なことから離れていて、またその難解に戻る時に感じることがある。

久しく会った友人にどう接するか(今までどのように接していて、再開時にどう接するべきか)戸惑うように、

または長距離走の途中のような、まだまだ先が長い中間点に立ち止まったようでもある。

 

私はそのふやけた場所を乗り越えたい。

そしてやる気のキッカケをいま、作ろうとしている。

私は『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』(岩波文庫)を読み始めたばかりで旧字体を調べるのにスマホを手に取った。

まだ本の記憶を振りかざすことも知識として使うこともできていない。

とにかく走るしかないのだろう。

 

電話が鳴り、ベッドに横になっていた夫が起き上がった。

私も本に戻ろう。